今日はこれから岡山です。岡山から名古屋へ。そして明日は大阪へ。
泊まれば楽なのですが、泊まりの出張はできるだけいれないと自分に決めているので一度東京に戻ります。
少しでもいいからMARUの顔を見て話をしたいから。やっぱり一人にさせときたくないから。
品川駅のスタバで人の流れを見ながらMARUの小さい頃を思い出していました。
オッパイ離れできたこと、トイレを一人でできるようになったこと、服を着られるようになったこと、お箸を持てるようになったこと・・・たくさんある「できるようになったこと」。
これまでのMARUの成長は自分のことは自分で出来る、という成長。体の動きは心の動きと連動していますが、それでも「できるようになる」という成長は非常に大きく、これからの思春期における心の成長と比べればとても物理的な成長のように感じました。
今のMARUは一人で夜を過ごすことも、食事を作ることも、洗濯も、掃除も、お風呂の準備も、通学も、やろうと思えば全部一人でできます。
ひとまず、私(親)と同じレベルになりました。
これまでは「できない」MARUをサポートする機能的必要性がとても大きくて、それがあるから生き続けられたのですが、これからは機能的必要性はあまりない。
じゃあ親は何をしたらいいのでしょう? 私はどうしたらいいのでしょう?
世界がぐっと広がり、友人も広がり、将来について、生死について、友情について、愛情について、色々と思いを馳せる思春期に私ができること。
多分、MARUが振り返ったときにそこにいることなんじゃないかな。
戻りたくなったときに、いつも「そこ」にいること。
そして話したくなったMARUの話をフンフン、ホーっとひたすら聞くこと。
答えはMARUが出すからただ聞くだけ。
そんな時期がこれから何年か始まる気がします。
体と能力の成長に目をこらしていたあの時期から、今度はMARUの心の成長に目をこらす時期。
見てとりにくいことだからこそ、いつも以上に側にいて目をこらしたい。
・・・・さて、岡山行ってきます。
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