最近、「食堂かたつむり」を読みました。なぜ料理をするのか、なぜ料理を好きなのか。原点を振り返ることができました。
私はMARUがいないと料理を全くしません。文字通り「全く」しない。
どれくらいしないかというと、包丁もまな板もフライパンもお鍋もいない間は触らない。
もっというと、食べることすら実は面倒くさくなります。できるだけ食べるのをやめてしまい、生命維持のために必要な分だけ食べるということになります。バナナ、ヨーグルト、牛乳、青汁。そんなものしか口にしません。
私にとって「食べる」という行為は「生きるために」しなければならないという意味合いと、「誰とどのように食べる」のかという意味合いとでいうと、「誰とどのように食べる」のかが非常に重要です。
一緒に食べてくれる人の時間をもらって食事を共にするのですから、料理を食べてくれる人が喜んでくれる姿、ほっとできる姿などその人のことを思い出しながら作ります。
だから、一緒に食べてくれる相手のいない料理は私にとってする意味が全くありません。相手の顔が浮かばないのですから。
料理だけはどんな時でも気持ちを切り替えます。前向きに、楽しく、嬉しく、にこやかに。そんな気持ちで作ります。
メローな気分で作った料理は食べられたものではありません。何度か失敗をしているのでそれはもう止めました。
相手がいてもどうしても料理を前向きにする気分でない時は、楽しい気分で作ったストックに活躍してもらいます。
でも誰にでも料理をするわけでもありません。今は料理を仕事にしていないのでプライベートで作るのですから大事な人たちにだけということになります。
相手の体調、食の好み、来る直前に何をしていたか、どんな気持ちで来るか、最近どうしているのか・・・
そんなことを想像しながら、私の料理を食べて少しでも笑ってほっと出来ればいいなと願いながら。
おいしくなあれ。
この料理を食べて満たされますように。
食べる前より心があたたかくなりますように。
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