先々週は両親が旅行でいなかった。
なので仕事を終え、MARUとおしゃべりして寝かしつけると
ぐったりとなり私もMARUと一緒に朝まで寝入ってしまっていた。
先週も仕事で帰りが遅い日が続き、早く帰れた日は
MARUも学校が休みだったりしてべったり一緒に過ごしていた。
やっぱりMARUと一緒にすごす時間の量と理解度は正比例だなあ・・・。
いや、ある程度の時間は一緒に過ごさないと細かいところが分からない。
MARU一人で計算をやらせればできるのだが、側についてみていると
どこが分かっていないのか明確になる、など。
MARUの心の細かい襞を分かっていてそのままにしているのと、
分かっていなくてそのままなのとではやはり違うし。
まあそんな訳で週末も相変わらずべったり一緒に過ごす。
この週末はMARUの友達が遊びにきたからみんなでクッキーを作り粉だらけに。
鼻の頭に小麦粉をつけながらハロウィーンの型で抜いていく。
ハロウィーンだからお化けやら骸骨やらコウモリなどのあんまり可愛くないのなんだけどね。
大量に出来たクッキーをお土産に友達を見送る。
MARUとご飯を食べてお風呂に入る。
「ドリトル先生アフリカゆき」を読みながら寝かしつけ、私も一緒になって寝てしまう。
(*この本、井伏鱒二の訳だったのを思い出した。)
真夜中頃、ふと目が覚めて自分の部屋へ移動する。
やっと一人の時間なのだけど、何かするには眠い。寝よう。。。
今日は一日雨なので近所の本屋さんで買物。ここんところよく本買っている。
今日は「ダンテクラブ」。
「ダ・ヴィンチ・コード」の著者に「夢中にならずにいられるものか」とまで言わしめたらしいこの作品。
ダンテと言えば江藤淳先生を思い出す。
比較的英語の成績が良い生徒が多いキャンパスの中で、「ここの生徒の英語力は低い!」と仰られた。英語の成績が良いことと、英語力があることとの違いを説き、他のキャンパスならダンテの原書を読んでもらうところだと仰ったのが心に残っている。
新設のキャンパスであり、ちやほやされていた学生達に向かって学問の本質を説かれた先生は少ない。
その少ない先生の一人であられた。
加賀谷くんみたいに深い思い出を築いたわけではないけれど、
それでも「漱石とその時代」を読んだりしていたわけで、先生の死を聞いたときは
その関係の薄さには似合わないほどショックを受けたことを今でも覚えている。
授業を聞いていただけなのになぜゆえそれほどまでに心に残っているのか。
それは厳しいことを、本質を説くけれどそれが自分の生徒への愛情があるがゆえの姿だと思う。
毎回、毎回の授業は、あのクラスの先生は適当になされることが多い中、
江藤先生だけは渾身の授業をいつもなさっていた。
正しいことや本質を説くことはしようと思えば誰にでもできる。
でも説いただけではせっかくの正しいことも本質も聞いた相手にはひびかない。
ひびくかどうかは、相手への愛があるかどうかだと思う。
親子でも、恋人でも、師弟でも、上司部下でも、全ての関係性は愛があることが大事。
相手への愛情があることがまずは大事。
自分にとって特に大事な関係性の中では、できるならその愛情を見える形で
私は示していきたい。
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今夜はすでにMARUも寝ていて一人の時間ができた。
なのでこんなことをつらつらと考えつつ、好きな本を読み、刺繍をしながら過ごそうと思う。
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