引越しが早まることになった。
新居から小学校に通うことを想定していなかったので、すこし切り替えが必要だ。
通学はまあいい。問題は学校がある日のバレエだ。家に一度帰るには時間はなく、かといって、ランドセルを持っていくのはどうしても嫌だとMARUは譲らない。中学生になれば制服着たまま学校帰りにレッスンへ向かうのはいいと言う。でも小学生の間は、更衣室にランドセルを持って行くのは嫌なんだそう。何回聞いても理由がよく分からないが、こればかりは譲らない。
コインロッカーに預けるしかないねと合意し、学校からの交通経路とロッカーの場所を実際に行ってみてMARUに確認させる。
環境が変わるとMARUの行動経路も変わるので、始まるまではやはり不安。
…………
母が帰ってきた。
MARUはもう大喜び。
MARUだけをかわいがってくれるバーバに戻ったのですから。
母が戻ってきたら、家の中がパッと明るくなった。
母は我が家のムードメイカー。
新居に移ったらMARUに寂しいなと感じさせたくない。私がニコニコして、母が愛情で満たしてくれていた代わりをしたい。一緒に暮らした6年で、ようやくそれが出来る自信がついた。口先だけの愛情ではなく、行動も雰囲気も、母がいないと感じさせないくらいたっぷりの愛情を込められるようになった。機能的必要性がなくなるこの時期に、自己治療を終えられて良かった。
「一緒に暮らそう」と6年前に言ってくれた両親のおかげだ。
MARUとの二人暮らしでは、今の姿にはなれなかったと思う。一人で頑張らねばと、思い込んでいたのを両親に同居という形で引きずり出された時は、正直なところ、面倒なこともあった。親としての私の課題にすぐ気付いた両親が、それを埋めてくれたからMARUは素直な子供らしい子に、愛されている自信に満ちた子に育った。
私との二人暮らしをしていたら、自分のことはできるけれど、常に愛情を渇望するようになったかもしれない。昔は私が自分のことでいっぱいいっぱいで、機能的必要性からだけでMARUを育てていたから。特徴的だったのは私には表情がなく、MARUは私を気遣いすぎて一切のワガママを言わない子になっていた。MARUは聞き分けが良すぎた。
この6年でいったい何回、MARUに「ママ、ニーって笑って」と言われたことか。やらねばならないこと、考えねばならないことを滞りなく進めることでいっぱいで、滞りなく進めればMARUは愛情をわかってくれると甘えていた。
MARUは両親と一緒に、私に寄り添っていてくれた。
私が倒れそうな時は、何も言わずに手を握り、私に一人じゃないよと分からせてくれる強さのある優しい子に育った。両親がMARUの両脇から注意深く、どんな些細なことも見落とさずに、手間と時間をかけてMARUを育ててくれたから。
今度は私の番だ。
支えられどうしだったこの6年。
正しく育てねばではなくて、愛情込めて丁寧に育てたい。
「〜ねば」じゃなくて「〜したい」。
育てる軸がぶれなくなったとでも言おうか。日々のことは悩んでも、迷いがなくなった。
家族に物理的なことだけでなく、「もうこれなら大丈夫」と精神的にも安心してもらえるようになった。
地に足つけて生きている感覚が確かにある。
その感覚を持てているから、私は私、という自信がある。
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