両親との同居は、当初は予定していなかった。
「スープの冷めない距離に」暮らそうねと、母と話していたけれど、6年前のこの時期に父が突然「一緒に暮らすぞ!家は青山に決めたから入学式までに引っ越して来い!」となりました。
そのとき母は私にこう言いました。
「孟母三遷って言うでしょ?教育の環境は大事よ。」
それが三遷の一遷目。
そしてこの春の引越し。
MARUのバレエのレッスンは夜遅いため、少しでも早くに帰宅できるように。
そして学校への通いやすさも考えて。
町としての落ち着きも大切。
二遷目の引越し。
さて三遷目はどこになるやら。
日本を出るかも。そんな予感。
コメント