ここ数年、毎日の小さなことを丁寧にするよう心掛けていると少し前に書きました。
完璧になんてできないから、「心掛けて」「できる範囲で」というのが私流。かなり適当です。
私だけでなく、どんな人でも生活の中のこだわりってあるじゃないですか。そんなものです。
洗顔以外の「丁寧」で、ここ数年かなり定着したことがいくつかあります。
その一つが「モヤシのひげとり」と「洗濯」です。
丁寧を心掛ける前はモヤシなんて洗ってそのままジャッ、ジャッと炒めてました。でも、母がいつも丹念にモヤシのひげをとっているのを見て、「なんでひげをとるの?大変じゃない?」と聞いたら「だってそのほうが美味しいし、みんなに美味しいのを食べてほしいから」と。
アッと思いましたね。自分のことしか考えていなかったって。
料理は食べてくれる人のことを考えて作ることがモットーだったのに、モヤシに関しては全く考えていませんでした。
それ以来、毎回とは言えませんが、できるだけモヤシはひげとりをしています。モヤシを1本ずつ両端を折るだけなのですが、きれいに処理されたモヤシは白く綺麗に光っているのです。美しい!これも発見。
何でモヤシのことを言うかというと、今夜はモヤシのひげとりをしたから。ひげをとりながら、何でこんな面倒くさいことをやるようになったかを思い出していました。家族はその手間なんて知りません。MARUはモヤシ大好きなので豪快に食べます。味わって!なんて思いません。ひげをとったモヤシは美味しい!と舌で分かってくれてれば、将来、おいしいモヤシを食べたければひげをとるしかないんだって分かりますもの。そうしたらMARUもモヤシのひげを1本ずつとるようになるのでしょう。
丁寧の二つ目。
主婦としての私はかなりダメ出しされてますが、その中で母の評価が低かったのが洗濯。
色ものと白ものを一緒に洗う。
干す時にシワを伸ばさない(伸ばしているんですけど、母のお眼鏡にかなわないだけ)。
畳む時に「袖畳み」をする。(お洋服屋さんみたいに畳むのが正解・・・らしいです)
しまいには私の洗濯物以外はやらなくていいとまで言われる始末。世の中一般的にそれほどひどいとは思えないのですが、我が家の母の基準ではダメでした。
で、数年前から母が「正しい」と思う洗濯をするようにしています。
畳む時も袖畳みではなく、お洋服屋さんみたいに綺麗に。
できない時もあるけれど、こつこつ真似している内に、それが当たり前になってきて、今では母流が私流になりました。
そうしたらMARUも自分のクローゼットの中をキレイに整理整頓するようになりました。以前はぐちゃぐちゃだったのに・・・。
こういうこというと潔癖症みたいですが、全然。
アイロンかけは出来るだけやりたくないので、アイロンをかけなくていいようにシワをピンと伸ばして干すようになったり、そういうゆるい感じでやっています。(最近は私がアイロンをかけないことを分かっているMARUは自分でかけるようにもなりました。「ママがかけるとシワが増えるから」だそうです。)
丁寧その三。
台所周りは環境整備してある状態に戻さないと落ち着きません。これは昔から。でも最近はより徹底しています。
さ、料理をしようという時に流しに汚れものがある、ガス台が汚れている、壁に油や汚れがついている、モノがたくさん出ていてスペースがない・・・こうだと環境整備からしないとならないので、本題の料理にたどり着くまでに疲れちゃうしイライラしちゃいます。
なので、料理は終わったら片付けるのが私流。
流しは常に空に。
水周りに飛んだ水は拭き取る。(水1滴でゴキブリ1匹引き寄せるとも聞いたことがあるので。)
壁の汚れや油をふき取る。
ガス台も綺麗にお掃除。
作業台にはできるだけ物を出さない。
この5点。大したことありません。5点がくせになるほど毎日やればいいんです。そのうち、歯磨きや洗顔と同じように「やらないと気持ち悪い」ことになりますから。
もちろん、ガス台ふけないこともあるけれど、まあその辺りは「やらねば」ではなく「やりたい」程度に。
丁寧に生活をする中で課題もまだまだたくさんあります。
相変わらず母には家事をダメ出しされていますしね。
でも、私的には仕事6割、家事6割、育児6割、足して180%。すご~いと自分を褒めていたのが、家事が6割5分ってところでしょうか。ちょこっとだけよくなったと思っています。
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