昨日、○会から通信教育の資料が届きました。
私のではなくMARUのです。
「○文は競争だからいや~」というので家で出来る勉強をと思い取り寄せてみました。
教材はいいんです。でも、何かしっくりこない。これをやるのは私じゃなくてMARU。私が決めていいのかな~。
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私は理科が大好きでした。
科学も好きでした。
過去形ではなく、今も大好きです。
でも、学んだのは学校ではなくほとんど家の周りから。
枝豆を門から玄関までのスロープに沿って植えて毎日毎日観察日記をつけていまいした。
星座早見盤を手に望遠鏡をよく覗いていたものです。昼間はその望遠鏡のレンズをとりかえて太陽の黒点を見たり。そうそう、太陽の黒点の数によって地球の天候が大きく左右されるなんて話を聞いたときは、黒点を数えたものです。(数えられるわけないのですが・・・)
海でサザエを取って来たときは、貝の蓋を酢に浸けて溶かすのを見ているのも好きでした。じわじわーと溶けるんです。
蚕の餌の桑の葉を取りに裏山へ行き、誰かが離した蚕が手元にいるのを見つけた時はびっくりしました。。。それで虫嫌いになってしまったくらいですから。
そんなこんなで鎌倉の海と山の間で育った私は理科や科学の材料に事欠くこともなく、そういうことが大好きな子に育ったわけです。学校での授業はそれを裏付ける感じでしたね。もう知ってるもん、というか。
時間と共に、季節と共に、自然と共に生きていたと思います。
思えば自分で作ること、工夫をすることが大好きでした。それは今も変わらず。
本の虫でしたから、トム・ソーヤを読めば庭の木にロープを通して、板をまたがせて木の上の基地を作ったり。
話がそれました。
ともかく理科は授業で教えられるものではなく、身の回りのことだった。
だけど、MARUは違います。
そういう環境にない。
物を作ることは好きな子ですが、環境を用意しないと出来ない。思いついた時に庭に出て自分で種を植えて・・・とか、できない。
空を見上げても青山の空は明るすぎて星一つ見えない。
ついでに理科の授業はありません。ゆとり教育の弊害だと私は思っているのですが、「せいかつ」という科目に理科と社会は一緒になっています。でも、これはそろそろ解消されるみたいですけれど。
なのでかどうか分かりませんが、MARUのことで気になるのは自分以外の事象に対する興味が薄いこと。
学習への興味は、なぜだろう?から、知りたい!からくると私は思っています。
MARUには今、それが欠けている。いつもの決められたプリントをするのは「しなければいけないから」であり、知る喜びにはつながっていないようです。
私が出来ることをやれていない。それは明らかです。
4月から2年生。
1年生の間は学校に慣れることが目標でした。
2年からはMARUの学びたい!おもしろい!を引き出して、自分から学べる力を育てたい。
なんだっていいんです。全部を出来て欲しいなんて思いません。私は理科と読書だけでしたし。(読書が好きでも国語のテストは苦手でした。。。)
なんだっていいんです。
MARUが自分からこれだけはどんどん動いて発見するというものを引き出したい。
それが今年度の私の育児課題です。
私も、海外にいた小5~中1の間は補習のため、○研ゼミを、
大学受験対策に○会を受講していました。
通信講座って、親がどう関わるかですよね。うちは放任でしたが、「自分で学習→大人と答え合わせがてら学習」というおうちもありました。
提出テストの位置づけも「実力試し」と考えて、結果を親がチェックするか、「100点めざして調べこむ」(参考書使用OK)かでも違うよね。
私の場合、ひとりでよく「100点めざして調べこむ」作業をしていました。高得点をとるとね、ニックネームで順位が別冊に出るから嬉しくって(笑)
投稿情報: かおり | 2005/04/04 15:26
かおりちゃん、久しぶりです。
私は学ぶのは好きでしたがテストは苦手でねー。
今も昔も興味あることしかやらないというところ、
全く変わりません。。。
自分がこうだからMARUにも好きなこと見つけてねと
思うのかも。
投稿情報: 志乃 | 2005/04/05 23:54