MARUの保育園の同窓会があった。
お父さんの送り迎えはほとんどない園だったので、必然的に子供達とお母さんの同窓会となる。
MARUは友達のMちゃんの家にお泊りだ。
子供達はワイワイと公園で遊んでいる。
MARUはお泊りする家のMちゃんと一緒に遊んでいる。
そのうち、Sちゃんが泣いていると誰かが伝えに来た。
MARUとMちゃんとRちゃんとでSちゃんのことを悪く言ったらしい。
それも繰り返し。
「Sちゃんにごめんね、と言ったけど許してくれないんだもん」と
MARUはMちゃんとRちゃんと遊んでいる。
Sちゃんはお母さんの膝の上で悲しそうな顔をしている。
MARUを部屋の外に連れ出した。
志「Sちゃんに何をしたの?」
M「・・・って言ったの。でも謝ったけど許してくれないんだもん」
どうみても悪いと思っているように見えない。
志「じゃあMARUが他の3人に・・・と言われたら?」
M「やだ」
志「Sちゃんも同じでしょ?」
Sちゃんに「遊ぼう」と声をかけて、一緒にいると約束をしてとりあえず部屋に帰す。
MARUはSちゃんに「遊ぼう」と言うがSちゃんはすぐには動かない。
MARUから顔を背けている。
MARUはすぐにMちゃんやRちゃんと遊びだしSちゃんから離れる。
私とMARUの目が合うと慌ててSちゃんの隣に行き「一緒に遊ぼう」と何回も言う。
一緒におやつを食べ、ジュースを飲み、そのうちにSちゃんも機嫌が直りみんなと遊び始める。
私は小学生の頃から今も群れることが嫌いだ。
小学生の頃、リーダー格の女の子がいた。その子がOちゃんを仲間はずれにしようと言い出し、他の子は自分が仲間はずれにされるのが嫌でOちゃんをいじめていた。私もそうしようと声をかけられたが、私はOちゃんを嫌いではなかったし、むしろリーダー格の子が嫌だったので言うことをきかなかった。
そうしたら私が仲間はずれにされた。
でも、その方が楽だった。Oちゃんをいじめることよりは。
それからというもの、群れに無理してまで自分を曲げてまで入るよりは一人でいることを好む傾向がより強くなったと思う。
だからこそ、群れに入れない人、合わない考えを押し付けられて悩む人などに人一倍敏感になったと思う。
MARUには人に無視されること、関わって欲しいのに否定されることの悲しみを分かる子にはなってもらいたい。
そして人が悲しんでいるのを見て見ぬ振りをする人間にはなってほしくない。
悲しみに関われば自分もつらくなるかもしれないけれど、それでも人に関わって欲しいと思う。
自分の子に限ってなどということは絶対にあり得ない。
人の子がすることは自分の子もするかもしれないこと。
そう思えば人のことは自分のことのように思えるはず。
まずはMARUちゃん、人の痛みを分かろうとしようよ。
喜ばせる、可愛がるだけが受け容れることじゃないんだよ。
大事な人なら痛みを一緒に分かち合おうよ。
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