今は定時に会社を出て、MARUと夕食を共にすると決めているので、旧友に会うのもしょっちゅうと言うわけにはいきません。
苦楽を共にした仕事仲間。年齢だけでなく、精神的にもスキルも若かったけれど、情熱はありました。触るとかなり熱かったように思います。
今でももちろん仕事・・・というか社会で私がやっていることへの情熱はあるけれど、質が変わったように思います。
スーパー仕事のできる人、熱い人のサポートをするのが私の適性と思っていましたが、最近は自分がやりたいことも見えてきました。
今年は初めの一歩を歩き出します。
自分がやっていることがたまたま社会や人に貢献することだった、
社会や人に貢献することをしたいから今この仕事をしている、
どちらでもいいと思うのです。色んな考えがあったほうがいい。
私には社会や人に貢献をする人生を歩かねばならない、となぜか小さな頃からインプリントされています。これは、先祖が成してきたことや受けてきた教育や宗教を考えると仕方ありません。
自分の意思を持った頃には刷り込まれていたのですから。
半ば強迫観念のように、始終、どこかから「お前は貢献しているのか?」という声が聞こえてきます。
社会に貢献しなければならない。
「ねばならない」の呪縛がふと気づいたらなくなっていました。
それが上で述べた情熱の質が変わったということです。
私がやりたいこと、興味あることはつまるところ自分だけの金儲けではない。
おもしろいなあと思うことはいつも、そう、大抵は儲かるどころか儲かりそうもないことばかり。
そんなことに残りの人生を使うのも私らしいと思う今日このごろなのでした。
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