MARUを産んだ時の跡が今でもお腹にしっかりと残っています。いわゆる妊娠線。
残したくて残っているわけではもちろんありません(--;
でも、MARUが12歳ともなり、日々のことでばたばたしていると、産んだ時のことは遥か遠くにいっています。
それでも、お腹の跡を見るときだけは、「あの」出産を思い出します。
ウッシーが手がけている映画の話を少し前に聞きました。
産むのは始まりで、そこからの育児にも着目してね、と伝えました。
それぞれの出産。みんな自分だけは「大変なお産」だったと言います。
私もそう。
陣痛の感覚が狭くなり、痛さのあまり分娩室まで歩けなかった。
1時間で終わった出産でしたが、途中でMARUの呼吸停止やらなにやら。
もっというと、3ヶ月の頃、卵巣の手術を勧められて「もしかしたら出産はあきらめてもらうかも」と担当医に言われました。
母が立会い、生まれたMARUを見ながら感動して泣いているのに、私は疲れきってとにかく休ませて、と思っていました。
MARUを産んだという実感が出たのは、初めての授乳のとき。
・・・そんなことを今でも思い出すのは、お腹の跡を見るときくらい。
だから、この醜い妊娠線の跡は、私の勲章。
「がんばった」とか「大変だった」なんて嘘くさくて人には言いたくない。
でも自分に誇れる勲章。
跡を見るたびに醜いから消したいけれど、ほのかに跡が残っていてほしいとも思うのです。
消し去る、箱にしまう、見ないふりする。
そうじゃなくて、負った傷を風化させ、自分の更なる肥やしにしたい。
だから消すのではなくて自分で癒し、跡を愛おしく思えるようになるまで慈しむ。
MARUを産んだ跡だけに限らず。
全ての傷はそれも含めて私自身。何ら恥じることはないと思うから。
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