MARUが通う学校には通信簿がありません。
中間や期末テストもありません。
でもテストはたくさんあります。レポートもたくさんあります。ノートも提出します。
学ぶのは物事を深く考える判断できるようにするため。だから自分のため。だから自分が分からないところを理解できるように頑張ることは大事だけれど、学年全員の中でどれくらい「できる」のかを評価する必要はない・・・というわけです。
ノートは各教科3冊用意します。
1冊は板書用。1冊は宿題用。1冊はテスト直し用。テスト直し用が一番重要で、左にテストを張り、右に直しをします。3冊とも頻繁に提出します。
テストは英語、数学、国語は毎週ミニテストがあり、単元が終わると全教科のテストがあります。ただその時期がばらばらなのです。単元毎にテストがあるので、中間期末よりも年間のテストの数は多いです。1年間の予定表にそれらテストの予定は全て書き込まれています。
予定が決まっているのだから子ども達は自分でスケジュール管理をすることを入学当初から求められます。いつテストがあるか分かるのだから逆算して自分で準備しなさいと。それは誰でもない自分のためなのだからと。
MARUの学校は2期制です。
9月末から10月上旬は秋休みになります。この間に一人一人が先生と個人面談をします。
先生と生徒だけで。先生から前期の各教科のテストの点数を伝えられ、生徒達はそれをシートに自分で記入します。記入した後、先生とお話をします。
親もこの期間に先生と個人面談をします。
評価ではなく話し合いの場を設けているこの学校の姿勢に共感を覚えMARUは受験をしましたが、思った以上にMARUには合っていたようです。
1回でテストの点がとれれば一番いいけれど、直しをしてどうして間違えたのか、どうしたら正しい答えにたどり着けるのかを考え、2回目は間違えない。そういう様に取り組む努力をちゃんと見ていてくれて頑張っているねと声がけしてくれる先生達。
いわゆる受験用の塾でテストマシンのようになることを強いられ、でも乗り切った私と、頑張ったけれどその拒否感が全てぜん息に表れてしまったMARU。
昨日は社会科のレポートを作っていました。夏休み前に見学した銀座と、自分が住む町の商店街を比較するというテーマです。
MARUはまずiPodでGoogleから駅までの道を確認しました。
Googleの地図に掲載されている店舗はごく一部なので、それだけを目印に地図に書き込み、手で書いた地図を持ち駅まで探索します。ひとつひとつのお店を手製の地図に書き込み、飲食店が全部でXX軒、クリーニング屋さんがXX軒、雑貨屋さんが・・・などと数え、全体の印象を書き込みます。
・・・そんなレポート、私は中学の頃に書いたことありませんでした。
私の通っていた中高は進学校だったので、夏休みの宿題というと各教科の問題集をどっさりと渡されただけです。
MARUの理科の宿題は、先生が宿題を説明し、先生がどのように提出された宿題を見るのかも説明されたそうです。
どこの町でもいいので、5種類の植物の根、葉、茎、花または実をつけた状態で採集し、標本にします。その標本にした植物を調べて採集した場所、環境、植物の名前などを書き込みます。
先生は提出された一人一人の標本を、その場所で自生しているものなのか、それとも外来種なのか、生徒が調べた植物の名前は合っているのかなどを一つ一つ調べて確認して生徒にコメントをつけて戻します。
MARUの学年は約300人。300人×5種=1500の標本。これを理科の先生二人で見てくださると、そういう説明を宿題の説明の時にMARUは聞いてきました。
「先生はね、生徒がやってきた宿題を生徒と同じように一生懸命フィードバックしたいんだって。だからそれには時間がかかるから、みんなに戻すのが冬休み越しちゃうけどごめんね、って言うんだよ。そんなのいいよね!先生すごいよね。宿題の確認なんて、ハンコだけポンと押すことだってできるのに、それはしないんだよ。MARUね、理科の宿題はゼッタイに手を抜かないでちゃんとやるんだ。」
MARUの理科の宿題の話を聞いていて、そういう先生に教えていただけるMARUをとてもうらやましく思いました。理科だけではありません。提出するノートは全て細かく先生の赤ペンが入っています。
今、MARUは宿題もテスト勉強も家に帰るとすぐに取り組んでいます。
ママに喜んで欲しいから、誉めて欲しいからではなくて、自分でやりたいという意思があります。
誰のためでもなく、自分のために学んでいます。
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